小児科医 中村弓美のエッセイ・雑記
命は誰のもの
今年の7月まで、福祉施設で働いた。 重度の障害を持つ人たちの療育・介護・医療に、職員と一緒に携わった。 皆、仕事だから働いているというわけではなく、喜びも感じていた。 四季を共に楽しみ、成長を共に喜ぶ。食事や着替え、入浴、排泄の介助をする中で、生きることについてしばしば考えさせられた。
命は誰のもので、どこにあるのだろう。命は、その人を知る周囲の人々とつながり、共存しているのではないか。
日本では、年に3万人以上の人が自殺をしているという。 中高年の男性が多い、と聞く。 昔から自殺はよくないことだと言われてきた。 自分の命を自分で処分することが、なぜいけないことなのか、私は明確にわからないでいた。
しかし、命というものが周囲の人とつながっているとすれば、自殺は家族や自分を知る人たちの命にもかかわることになる。
援助交際する女子高生たちは「自分の体を使うのだから、誰にも迷惑をかけていない。」と言い訳する。 だが、体は命そのもの、自分だけのものではない。
米国のナンシー・クルーザン事件では、両親の希望と本人の生前の意思が確認されたと、安楽死(チューブによる水や栄養の投与を中止しした結果の自然死)を選ぶことが認められた。その結論にたどり着くまでには、多くの議論と年月、皆の合意が必要だった。
また、延命治療の判断やガンの告知についても、しばしば考えさせられる機会がある。 最も尊重されるべきは、本人の意思である。 しかし、周囲の人々もその命とつながっているという観点からすれば、やはりケースバイケースであろう。 医療者として、自分の人間性・人間観を深めていくことでしか、答えは見つからないと思う。
(平成15年11月15日 熊本日日新聞 夕刊「今日の発言」掲載)
