小児科医 中村弓美のエッセイ・雑記
鬼も仏に
引きこもりや不登校は、今の社会が抱える大きな問題である。 本人も、周りも、どうしてそうなったのか、どうやったら解決できるのか分からないでいることが多いようだ。
我々の住む社会には、困難なことが付きまとう。 貧困や差別、人間関係の軋轢、嫉妬、劣等感などなど。 人は日々それらにさらされている。 確かに、それらを一つひとつ乗り越えていくことは容易ではない。
不登校にしても引きこもりにしても、単に個々人の問題であるばかりでなく、社会全体のひずみの表れではあるまいか。 一方で、、「怪我の功名」や「災い転じて福となす」ということわざもある。 怪我がそのまま功名に変わるのでもなく、災いが直ちに福となるのでもない。 そこには、因果を反転させる何かが必要だ。
あの司馬遼太郎は小学生の時、教師に逆質問して叱責された。 その悔しさから図書館の本を読みつくしたという。 数十年後、「その時に鬼と思った教師の顔が、自分にとっての仏だった」と語っていた。
外来診療でも、糖尿病を見事克服して、以前より健康になる人がいる。 その人にとって糖尿病という鬼は、結果的に健康へ導く仏だったといえる。 お釈迦様は、川のほとりの菩提樹の下で瞑想し、因果の流れについて理解ができた時、初めて悟りを開いたといわれる。 因果の流れとは、ある原因が次の結果を導き、その結果が、また別の原因となって−といった具合に、繰り返していくもの。
娘の通う中学校の校歌で唄われる「道」。 それはきっと登り道だろう。 でも、人は坂道を登ってこそ一時の不幸を、次の幸福の原因にすることができる。 私も大きな時間の流れの中で、「鬼も仏だった」と思えるような人生を送りたい。
(平成15年12月20日 熊本日日新聞 夕刊「今日の発言」掲載)
